2013年06月18日
たまには昔の話などしてみます
こんにちは、はまハチです。
まあ、昔の話といっても2011年の鈴鹿8耐のお話です、
最近といえば、最近のお話です。
8耐に参加できるマシンは、FIMの規定があり、
大体で5年前のモデルぐらいです、
2011年に2007年モデルで8耐アタックに参加した私たちは、
全参加チームの中で一番古いモデルでした。
2009年のクロスプレーンモデルのYZF-R1が出揃い始めていて、
型落ちの2007年モデルは、私たちだけでした。
予選二回目のタイムアタックで、エースライダーが転倒、
マシンは縦転がりをして、大破しました。
当然、予算的にスペアパーツが準備できていなかったので、
チームとしては、意気消沈、重たい空気がピットの中を漂っていました、
その時に、ヤマハさんのレース担当者が小声で呼びかけてきました。
「どう、修復はできそう?」
「結構厳しいですね、チタンマフラーの手持ちがありません」
「ちょっとこっちに来て」
「、、、?」
呼ばれるままに付いていくと、
ハマハさんのトラックの扉を開けて、大きなダンボールを取り出して、
「使って良いよ」
箱を開けて中を見ると、アクラのフルエキゾーストマフラーが入っていました、
2009年モデルが席巻する中、2007年モデルを持ち込んでいてくれたのです。
特別、ショップチームでもなく、メーカーチームでもない、
私たちプライベーターチームのために、わざわざ準備してくれていたようです。
「私たち1チームのために持ってきてくれたのですか?」
「ああ、間違えて積んできただけだよ」(^^)
トラックの奥には、天井まで届くぐらいの、
少し古くなったダンボールが山積みです、マジックで書かれた文字は、
「2007カウル一式」 「2007スロット」 「2007レーシングハーネス」
などなどと書かれていました。
「他に必要になる部品はある?」
「ピットに戻って相談してみます」
マフラーのダンボールを抱えて、雰囲気が沈みきったピットに戻ると、
暗かった雰囲気は一気に明るくなり、ヤマハさんのご好意が、
どれだけ私たちにヤル気と勇気をくれた事でしょう、
「いざとなったら、ここに部品がある、でも出来る限り自分たちで修復をしよう」
初参加で、一番の型落ちのマシン、
わずか18人で8耐に挑んだチームが再び強く結び付きました。
鈴鹿サーキット近くのバトルファクトリーまでマシンを運び、
3個に砕けたシートレールを溶接補修して、
曲がり凹み、向きが変わったチタンマフラーも溶接して、
鈴鹿のピットでは、ライダーたちがFRPカウルを補修して、
ほぼ徹夜作業で、夕方に転倒したマシンは、翌日には修復されました。

万全ではない状態での決勝レースはやはり過酷なレースになり、
時間経過と共に、カウルの割れや痛みを補修しながらの戦いになりました、
決勝レースのスケジュールも、後になるほど手直しされていきます。

たった一台のマシンと、18人で挑んだ初参加のチームは、
決勝37位193週で無事に8耐のゴールを通過しました。
ヤマハさんからお借りしたマフラーは、
箱に入ったまま出番はありませんでしたが、
決勝レースの中、私たちのピットに置いてもらっていました。
どれだけこころ強かったかは、
言葉に言い表す事ができません。
山積みされた2007年モデルの部品と、
プライベーターチームに貸し出しをしてくれた事が、
ヤマハさんの社内決定なのか、レース担当者の判断なのか、
今の私たちが知る事は出来ませんが、
「ああ、間違えて持ってきたんだよ」(^^)
また、そういった答えが帰って来るのだと思います。
まあ、昔の話といっても2011年の鈴鹿8耐のお話です、
最近といえば、最近のお話です。
8耐に参加できるマシンは、FIMの規定があり、
大体で5年前のモデルぐらいです、
2011年に2007年モデルで8耐アタックに参加した私たちは、
全参加チームの中で一番古いモデルでした。
2009年のクロスプレーンモデルのYZF-R1が出揃い始めていて、
型落ちの2007年モデルは、私たちだけでした。
予選二回目のタイムアタックで、エースライダーが転倒、
マシンは縦転がりをして、大破しました。
当然、予算的にスペアパーツが準備できていなかったので、
チームとしては、意気消沈、重たい空気がピットの中を漂っていました、
その時に、ヤマハさんのレース担当者が小声で呼びかけてきました。
「どう、修復はできそう?」
「結構厳しいですね、チタンマフラーの手持ちがありません」
「ちょっとこっちに来て」
「、、、?」
呼ばれるままに付いていくと、
ハマハさんのトラックの扉を開けて、大きなダンボールを取り出して、
「使って良いよ」
箱を開けて中を見ると、アクラのフルエキゾーストマフラーが入っていました、
2009年モデルが席巻する中、2007年モデルを持ち込んでいてくれたのです。
特別、ショップチームでもなく、メーカーチームでもない、
私たちプライベーターチームのために、わざわざ準備してくれていたようです。
「私たち1チームのために持ってきてくれたのですか?」
「ああ、間違えて積んできただけだよ」(^^)
トラックの奥には、天井まで届くぐらいの、
少し古くなったダンボールが山積みです、マジックで書かれた文字は、
「2007カウル一式」 「2007スロット」 「2007レーシングハーネス」
などなどと書かれていました。
「他に必要になる部品はある?」
「ピットに戻って相談してみます」
マフラーのダンボールを抱えて、雰囲気が沈みきったピットに戻ると、
暗かった雰囲気は一気に明るくなり、ヤマハさんのご好意が、
どれだけ私たちにヤル気と勇気をくれた事でしょう、
「いざとなったら、ここに部品がある、でも出来る限り自分たちで修復をしよう」
初参加で、一番の型落ちのマシン、
わずか18人で8耐に挑んだチームが再び強く結び付きました。
鈴鹿サーキット近くのバトルファクトリーまでマシンを運び、
3個に砕けたシートレールを溶接補修して、
曲がり凹み、向きが変わったチタンマフラーも溶接して、
鈴鹿のピットでは、ライダーたちがFRPカウルを補修して、
ほぼ徹夜作業で、夕方に転倒したマシンは、翌日には修復されました。

万全ではない状態での決勝レースはやはり過酷なレースになり、
時間経過と共に、カウルの割れや痛みを補修しながらの戦いになりました、
決勝レースのスケジュールも、後になるほど手直しされていきます。

たった一台のマシンと、18人で挑んだ初参加のチームは、
決勝37位193週で無事に8耐のゴールを通過しました。
ヤマハさんからお借りしたマフラーは、
箱に入ったまま出番はありませんでしたが、
決勝レースの中、私たちのピットに置いてもらっていました。
どれだけこころ強かったかは、
言葉に言い表す事ができません。
山積みされた2007年モデルの部品と、
プライベーターチームに貸し出しをしてくれた事が、
ヤマハさんの社内決定なのか、レース担当者の判断なのか、
今の私たちが知る事は出来ませんが、
「ああ、間違えて持ってきたんだよ」(^^)
また、そういった答えが帰って来るのだと思います。
Posted by はまハチ at 17:35│Comments(2)
│バイク
この記事へのコメント
こんにちは。
えぇ、話や!(涙)
おそらくエントリーリストで2007年モデルのR1がエントリーしていた事からヤマハさんがユーザーサポートの一環として事前準備していたものと思われますが、パーツ提供の判断をしたのは現場責任者の方の判断だったのではないでしょうか?
それを「あぁ、間違えて持って来たんだよ」とサラリと応えてパーツを提供してくれるなんて、ヤマハさんの男意気を感じますね♪
コース上では決して見ることのない舞台裏ドラマのひとつなんだと思います。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?
楽しみにしています。
えぇ、話や!(涙)
おそらくエントリーリストで2007年モデルのR1がエントリーしていた事からヤマハさんがユーザーサポートの一環として事前準備していたものと思われますが、パーツ提供の判断をしたのは現場責任者の方の判断だったのではないでしょうか?
それを「あぁ、間違えて持って来たんだよ」とサラリと応えてパーツを提供してくれるなんて、ヤマハさんの男意気を感じますね♪
コース上では決して見ることのない舞台裏ドラマのひとつなんだと思います。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?
楽しみにしています。
Posted by MOTOARCADIA
at 2013年06月18日 18:25

こんばんは、MOTOARCADIAさん、
あの時はあふれ出る涙に押されて、
ちゃんとお礼が言えていたか覚えていないはまハチです。
出来る事なら、すんなりとゴールしたいものです、(^^)
まあ、そんなに簡単に行かない事は十分に理解しています、
今年も、いろいろと厳しくて、、、。
コッソリとお教えしますが、
実は私、ヤマハさんとは何の関係もありません、
むしろ対立する立場にいます。<爆!
バイクのレース、鈴鹿8耐などでも、
ホンダさんが一番強いです、
スズキさんのマシンも速いです、
カワサキさんのチームも情熱にあふれています、
そして、ヤマハさんのマシンも良いのです。
ヤマハさんの社歌にもある「世界の人が見つめるなかで」
そして、TVCMなどで言われる「感動創造企業、ヤマハ発動機」は、
本物なのです、私も素直に認めます。
「給料が安くてさぁ」とか「仕事が大変でさぁ」とか、
私の友人や知り合いはみなさんそう言いますが、
自信と誇りを胸に、日々の仕事に向かい合っています。
私たちが、ひとり、ひとり持つ名前、苗字は、
親から受け継いだ苗字であり、
ご先祖様から受け継いだ大切な苗字であります。
楽器メーカーから派生したオートバイメーカーであるヤマハ発動機が、
世界中で有名になり、世界の舞台でナンバーワンを手にしても、
いまだに三連音叉のメーカーエンブレムを使い続けている事も、
とても意義があり、立派な事だと思います。
自然に恵まれた天竜の山と木々、
天竜川を下ってきた木材が、
木材加工の街として楽器製造に取り組み、
そして世界に名を広めるバイクメーカーを立ち上げました。
私たち、「バイクの街 浜松」そして「楽器の街 浜松」は、
本当に歴史のある良い街なのだと、
若い人たちにも知ってもらいたいですね。
私たちの活動が、
そのきっかけになれば幸いです、
これからも応援、よろしくお願いします。m(_ _)m
あの時はあふれ出る涙に押されて、
ちゃんとお礼が言えていたか覚えていないはまハチです。
出来る事なら、すんなりとゴールしたいものです、(^^)
まあ、そんなに簡単に行かない事は十分に理解しています、
今年も、いろいろと厳しくて、、、。
コッソリとお教えしますが、
実は私、ヤマハさんとは何の関係もありません、
むしろ対立する立場にいます。<爆!
バイクのレース、鈴鹿8耐などでも、
ホンダさんが一番強いです、
スズキさんのマシンも速いです、
カワサキさんのチームも情熱にあふれています、
そして、ヤマハさんのマシンも良いのです。
ヤマハさんの社歌にもある「世界の人が見つめるなかで」
そして、TVCMなどで言われる「感動創造企業、ヤマハ発動機」は、
本物なのです、私も素直に認めます。
「給料が安くてさぁ」とか「仕事が大変でさぁ」とか、
私の友人や知り合いはみなさんそう言いますが、
自信と誇りを胸に、日々の仕事に向かい合っています。
私たちが、ひとり、ひとり持つ名前、苗字は、
親から受け継いだ苗字であり、
ご先祖様から受け継いだ大切な苗字であります。
楽器メーカーから派生したオートバイメーカーであるヤマハ発動機が、
世界中で有名になり、世界の舞台でナンバーワンを手にしても、
いまだに三連音叉のメーカーエンブレムを使い続けている事も、
とても意義があり、立派な事だと思います。
自然に恵まれた天竜の山と木々、
天竜川を下ってきた木材が、
木材加工の街として楽器製造に取り組み、
そして世界に名を広めるバイクメーカーを立ち上げました。
私たち、「バイクの街 浜松」そして「楽器の街 浜松」は、
本当に歴史のある良い街なのだと、
若い人たちにも知ってもらいたいですね。
私たちの活動が、
そのきっかけになれば幸いです、
これからも応援、よろしくお願いします。m(_ _)m
Posted by はまハチ
at 2013年06月19日 00:04
