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2013年02月15日

たまには昔のお話など    

こんにちは、はまハチです。


たまには昔のお話などしてみましょう、

ご存知の方も、ご存知でない方もいらっしゃるかと思いますが、

浜松市のお隣の、磐田市のお話です。


「いわたトンボレーシングチーム」

この名前に聞き覚えはありますか?

20年以上前に、ヤマハ発動機、磐田市とタイアップして、

モトスポーツ・アベの阿部さんの立ち上げた市民チームです。


ちなみに「トンボ」とは、磐田市北部の桶ヶ谷沼に生息する、

絶滅危惧I類 (CR+EN)に指定されているベッコウトンボの事です。


今でも磐田市でお店を続けている阿部さんは、

若い時はライダーでした、1979年の250のチャンピオンです、

ちなみに、この年の350のチャンピオンは、平 忠彦選手です。


阿部さんも、鈴鹿8耐にライダーとして参戦しています、

過去最高リザルトは、4位 やはり只者ではありません。


周りからは、厳しい人、怖い人と言われていますが、

私はそうは思っていませんし、

むしろ面倒見が良い人、やさしい人だと思います。


まあ尊敬する大恩人ですので、お話をする時は緊張します、

「おうっ、はまハチ調子はどうだ?」

「ハイッ!自分は元気であります!」 ( ̄  ̄)


「あいかわらずだなぁ」ニコニコ

レースに対しては厳しい人です、

いつも、教わる事ばかりです。


その威厳と風格をもって、「海原遊山」 と評した事が後にばれて、

「誰が海原遊山だぁ?」 怒られた事は秘密です。



ネルガルさんが2011年にご自身のチームで参戦をする時も、

あれこれと、手を貸したりアドバイスをしてくださっています。


「あいつは、俺がやめとけと言ったのに参戦しやがって、

まあ、それでも、初参加で完走できたのだから、褒めるしかないなぁ」


普段は厳しい阿部さんのその言葉を人づてに聞いたネルガルさんは、

人目を気にせず、涙を流しました、

やはり私たちの中では、特別な存在だったりします。


私自身は、当時のニュースや報道でしか、

「いわたトンボレーシングチーム」 を知りませんが、

約10年にわたる市民チームの活動は、

私たちの指針でもあり目標でもあり、

ひとつのお手本であったりもします。


「上手くいっても悪く言われ、

悪ければ当然、悪く言われる、損な立場だよ」

当時を振り返り、笑いながら話をする阿部さんです。


「いわたトンボレーシングチーム」 は途中から、

Jリーグに昇格したジュビロ磐田の協力もあり、

「いわたトンボレーシングチームジュビロ」 となりました。


引き継ぐ人がいなく、チームは解散になりましたが、

レースにかける想いは、あれから何年経っても、

いろいろな人に引き継がれています。


最終年になりますか?「いわたトンボRTジュビロ」の8耐マシン、

ヤマハ FZR750R だったと記憶しております、

たまには昔のお話など    


その想いは、浜松の片隅で、

今も引き継がれております。



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Posted by はまハチ at 19:53│Comments(3)バイク
この記事へのコメント
初めまして、「いわたトンボレーシングチーム」のキーワードでネット見ていたらたどり着きました。

このチームの方々には恩をいただきまして、コメントさせてください。
チームとのつながりは、93年頃の8耐でチームの帽子を譲っていただけないかとお願いしたのが始まりでした。
その後、グッズの購入やカンパなどで毎年応援していました。
監督と苗字が同じで、しかも親の出身地が同じらしいしことで、さらに親近感を覚えました。

「2000年の8耐がラストランになるのでぜひ来てね」と連絡をいただいたとき、実はかなり進行したガンを患い茨城の病院で闘病入院中で、「病気で行かれないかもしれない」と弱気に返事したところ、チームの方々から応援のメッセージをいただいて感激しました。

おかげさまで、気力を取り戻し8耐直前に退院することができ、2000年8耐でチームの方々にお礼を言うことができたのです。
いわたトンボレーシングチームがなければ、2013年現在、私はこの世にいなかったかもしれません。

今でも毎年、いわたトンボレーシングチームの帽子とポロシャツでスタンドで観戦しています。
Posted by ユーイックエイブ at 2013年06月22日 13:20
こんばんは、ユーイックエイブさん、

阿部さんにはいつもダメだしをされているはまハチです。


たぶん、私の親も同じ出身地になると思います。(^^)


「いわたトンボレーシングチーム」の活動は、

多くの方々に感動をくださりました、

私もその活動に、影響を受けたひとりなのです。


「いわたトンボレーシングチーム」の母体となるモト・スポーツは、

OSGフェニックスでのレース活動、そして今年も、

ゼッケン64番 「TEAM モトスポーツ」にて参加です。


阿部さんのもとで、福山選手、奥田選手、吉道選手が走ります、

「いわたトンボレーシングチーム」は、

チーム自体は解散をして、形は変わりましたが、

今も走り続けています。


遠い昔に憧れていたチームと同じ、

鈴鹿8耐に参加できる事を、とてもうれしく思います。


何万人ものご来場者のいらっしゃる鈴鹿8耐に参加する事は、

実は、とても怖い事なのです、

今でも当日の朝は、手や足が震えてきます。


そういった時に、ひとりでも多く応援をしてくださる方がいれば、

私たちは、震えるこころと体から、

勇気と情熱を振り絞って、鈴鹿8耐に挑めるのです。


以前の「いわたトンボレーシングチーム」のスタッフ、

そして、私たちのように憧れを持って8耐に挑む者もいます、


「ライダーはひとりで走る、それでも決してひとりではない」


スタンドで観戦してくださるユーイックエイブさんの存在が、

私たちにも勇気と情熱、そして諦めないこころをくださります。


今年の鈴鹿8耐も楽しみにしていてください、

「いわたトンボレーシングチーム」に憧れ指針としている、

浜松の新しいチームが走り出します。


がんばります!
Posted by はまハチはまハチ at 2013年06月24日 02:59
初めまして19歳女子です
ジュビロで検索してたら発見しました
当時は中山選手がいたころですよね
生まれたころのことで歴史ですね

興味深かったです
過去どんな方がライダーとして参戦してたんですか?
ジュビロ同志のオートバイ乗りの中で話題になりました。

ライダーの名前などは検索である程度出たのですが
どんな方たちだったのかなと解ったらまたアップしてください
レース活動頑張ってください
応援してます
Posted by ジュビロLOVE at 2016年02月29日 10:31
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