こんにちは、はまハチです。
まあ、昔の話といっても2011年の鈴鹿8耐のお話です、
最近といえば、最近のお話です。
8耐に参加できるマシンは、FIMの規定があり、
大体で5年前のモデルぐらいです、
2011年に2007年モデルで8耐アタックに参加した私たちは、
全参加チームの中で一番古いモデルでした。
2009年のクロスプレーンモデルのYZF-R1が出揃い始めていて、
型落ちの2007年モデルは、私たちだけでした。
予選二回目のタイムアタックで、エースライダーが転倒、
マシンは縦転がりをして、大破しました。
当然、予算的にスペアパーツが準備できていなかったので、
チームとしては、意気消沈、重たい空気がピットの中を漂っていました、
その時に、ヤマハさんのレース担当者が小声で呼びかけてきました。
「どう、修復はできそう?」
「結構厳しいですね、チタンマフラーの手持ちがありません」
「ちょっとこっちに来て」
「、、、?」
呼ばれるままに付いていくと、
ハマハさんのトラックの扉を開けて、大きなダンボールを取り出して、
「使って良いよ」
箱を開けて中を見ると、アクラのフルエキゾーストマフラーが入っていました、
2009年モデルが席巻する中、2007年モデルを持ち込んでいてくれたのです。
特別、ショップチームでもなく、メーカーチームでもない、
私たちプライベーターチームのために、わざわざ準備してくれていたようです。
「私たち1チームのために持ってきてくれたのですか?」
「ああ、間違えて積んできただけだよ」(^^)
トラックの奥には、天井まで届くぐらいの、
少し古くなったダンボールが山積みです、マジックで書かれた文字は、
「2007カウル一式」 「2007スロット」 「2007レーシングハーネス」
などなどと書かれていました。
「他に必要になる部品はある?」
「ピットに戻って相談してみます」
マフラーのダンボールを抱えて、雰囲気が沈みきったピットに戻ると、
暗かった雰囲気は一気に明るくなり、ヤマハさんのご好意が、
どれだけ私たちにヤル気と勇気をくれた事でしょう、
「いざとなったら、ここに部品がある、でも出来る限り自分たちで修復をしよう」
初参加で、一番の型落ちのマシン、
わずか18人で8耐に挑んだチームが再び強く結び付きました。
鈴鹿サーキット近くのバトルファクトリーまでマシンを運び、
3個に砕けたシートレールを溶接補修して、
曲がり凹み、向きが変わったチタンマフラーも溶接して、
鈴鹿のピットでは、ライダーたちがFRPカウルを補修して、
ほぼ徹夜作業で、夕方に転倒したマシンは、翌日には修復されました。
万全ではない状態での決勝レースはやはり過酷なレースになり、
時間経過と共に、カウルの割れや痛みを補修しながらの戦いになりました、
決勝レースのスケジュールも、後になるほど手直しされていきます。
たった一台のマシンと、18人で挑んだ初参加のチームは、
決勝37位193週で無事に8耐のゴールを通過しました。
ヤマハさんからお借りしたマフラーは、
箱に入ったまま出番はありませんでしたが、
決勝レースの中、私たちのピットに置いてもらっていました。
どれだけこころ強かったかは、
言葉に言い表す事ができません。
山積みされた2007年モデルの部品と、
プライベーターチームに貸し出しをしてくれた事が、
ヤマハさんの社内決定なのか、レース担当者の判断なのか、
今の私たちが知る事は出来ませんが、
「ああ、間違えて持ってきたんだよ」(^^)
また、そういった答えが帰って来るのだと思います。