こんにちは、はまハチです。
たまには昔のお話などしてみましょう、
ご存知の方も、ご存知でない方もいらっしゃるかと思いますが、
浜松市のお隣の、磐田市のお話です。
「いわたトンボレーシングチーム」
この名前に聞き覚えはありますか?
20年以上前に、ヤマハ発動機、磐田市とタイアップして、
モトスポーツ・アベの阿部さんの立ち上げた市民チームです。
ちなみに「トンボ」とは、磐田市北部の桶ヶ谷沼に生息する、
絶滅危惧I類 (CR+EN)に指定されているベッコウトンボの事です。
今でも磐田市でお店を続けている阿部さんは、
若い時はライダーでした、1979年の250のチャンピオンです、
ちなみに、この年の350のチャンピオンは、平 忠彦選手です。
阿部さんも、鈴鹿8耐にライダーとして参戦しています、
過去最高リザルトは、
4位 やはり只者ではありません。
周りからは、厳しい人、怖い人と言われていますが、
私はそうは思っていませんし、
むしろ面倒見が良い人、やさしい人だと思います。
まあ尊敬する大恩人ですので、お話をする時は緊張します、
「おうっ、はまハチ調子はどうだ?」
「ハイッ!自分は元気であります!」 ( ̄  ̄)
「あいかわらずだなぁ」
レースに対しては厳しい人です、
いつも、教わる事ばかりです。
その威厳と風格をもって、「海原遊山」 と評した事が後にばれて、
「誰が海原遊山だぁ?」 怒られた事は秘密です。
ネルガルさんが2011年にご自身のチームで参戦をする時も、
あれこれと、手を貸したりアドバイスをしてくださっています。
「あいつは、俺がやめとけと言ったのに参戦しやがって、
まあ、それでも、初参加で完走できたのだから、褒めるしかないなぁ」
普段は厳しい阿部さんのその言葉を人づてに聞いたネルガルさんは、
人目を気にせず、涙を流しました、
やはり私たちの中では、特別な存在だったりします。
私自身は、当時のニュースや報道でしか、
「いわたトンボレーシングチーム」 を知りませんが、
約10年にわたる市民チームの活動は、
私たちの指針でもあり目標でもあり、
ひとつのお手本であったりもします。
「上手くいっても悪く言われ、
悪ければ当然、悪く言われる、損な立場だよ」
当時を振り返り、笑いながら話をする阿部さんです。
「いわたトンボレーシングチーム」 は途中から、
Jリーグに昇格したジュビロ磐田の協力もあり、
「いわたトンボレーシングチームジュビロ」 となりました。
引き継ぐ人がいなく、チームは解散になりましたが、
レースにかける想いは、あれから何年経っても、
いろいろな人に引き継がれています。
最終年になりますか?「いわたトンボRTジュビロ」の8耐マシン、
ヤマハ FZR750R だったと記憶しております、
その想いは、浜松の片隅で、
今も引き継がれております。